青戸選手の紹介

それは、青戸慎司選手との出会いからはじまった。

美容外科医として一六年の歳月が流れました。 本業とは別に、私にはもうひとつの仕事があります。スポーツ選手の指導者であることです。医師としての治療も行なうので、メディカルトレーナーと言ったほうが良いかもしれません。
私の場合、世間で言うスポーツドクターとは違います。選手の身体能力を上げるためのトレーニング指導も行なうので、 トレーナー的意味合いが強いからです。
美容外科医として培った技術、経験、知識は、十分トップアスリートを養成し治療することが可能です。

日本での保険医療体制では、新しい治療は、なかなか広がりません。
病気を治療するシステムは数多くありますが、スポーツ選手の身体能力を向上させる医学的システムはほとんどありません。
アンチエイジングはまさしくスポーツ選手が求めていたことです。
しかし、ドーピングであるホルモン補充療法をスポーツ選手に行なってはいけません。

トレーナーにもベストを尽くす

日本ではトレーナーと言うとほとんどが鍼灸師になります。本来は医師が行なうべき、行なったほうが良いケアや指導が、 鍼灸師であるトレーナーに委ねられていることが多いのです。
医師によるスポーツ選手のケアや指導がしっかり行なわれていない日本の現状に疑問を持ちました。

偶然・必然・・・ほくろの除去

本格的に多くのトップアスリートを指導するようになってから4年が経ちますが、きっかけは「青戸慎司」というオリンピックへ3度出場した現役アスリートと偶然にも出会ったことです。
彼は私のクリニックヘホクロを除去するために訪れました。
一回目がキレイに除去できたため、数カ月後、再び別のホクロを除去するために来院しました。
もちろん、私は彼の名前はテレビの特集を見ていたので知っていました。
地元では英雄的選手です。長野オリンピックにボブスレー日本代表として出場し、夏、冬季五輸へ日本人男子として初めて出場再来院時、彼は現役選手であることを私に伝えました。33歳です。

肉体の限界をこえて

しかし、彼は慢性のアキレス腱痛で現役生活も限界でした。その時、私には彼を復活させ現役生活を続行させる自信がありました。彼は2カ月後に迫った大会で年齢別日本最高記録を目指すと私に言いました。私は彼にヒーリングと半導体レーザー照射、プラセンタ療法を行ないました。翌日には、10年以上苦しんでいたアキレス腱からの痛みに解放され、普通に練習ができたと驚いて電話がありました。見事、彼は10秒79というタイムで100m男了年齢別日本最高記録を樹立しました。これ以後彼の記録はどんどん伸びていき、2002年愛知県陸上選手権大会で10秒71のマスターズ日本新記録を樹立しました。

国民的スポーツアイドルである女子フィギアスケートのメダル候補の安藤美姫選手、浅田真央選手それぞれ中京大学、中京大付属中京高校への入学を希望しています。 2人をオリンピックでのメダル獲得を支援するためチーム構成を行い、その中でトレーナーとして青戸慎司氏が組閣に入ることが決定しました。 さかえクリニックTCの選手兼コーチの彼が世界的評価が高まるチャンスです。

実績

1986年 大1 全日本ジュニア選抜100m優勝第1回世界ジュニア選手権
1987年 大2 ユニバーシアード・ザグレブ大会 4×100mリレー 3位 銅メダル 10秒50
4大学対抗オープン100m日本新樹立 日本人初の10秒30の壁を破る
ソウルオリンピック大会 4×100mリレー準決落ち38秒90
アジア新・日本新10秒28
1989年 大4 第73回 日本選手権大会100m 初優勝10秒28
ユニバーシアード・デュースブルグ大会 参加 10秒28
1990年 社1 日本選手権大会 100m 2位
北京アジア大会参加 10秒50
1991年 社2 右アキレス腱故障のため休養
1992年 社3 バルセロナオリンピック100m出場
4×100mリレーでは60年ぶり入賞(6位)38秒77 アジア新・日本新 10秒30
1995年 JOC(日本オリンピック委員会・コーチ在外研修)の派遣により1年間アメリカ・コロラド州にコーチ留学
1998年 長野オリンピック・ボブスレー4人乗り16位 日本人男子初夏冬五輪出場 (日本人3人目)
1999年 100m 32歳日本記録樹立
2000年 100m 33歳日本記録樹立
2002年 35歳日本最高 SM35マスターズ 日本新記録樹立
2005年 フィギュアスケート浅田真央選手 トレーニングコーチ就任

プロフィール

青戸 慎司 あおと しんじ Shinji AOT
昭和42年5月7日生まれ
和歌山市生まれ 血液型B型 おうし座
身長178cm 体重69kg 足27.5cm
市立松江小、市立河西中、和歌山工業高 中京大学体育学部卒
現在大学職員 スポーツコメンテーター、カメラマン 現役スプリンター
●日本人男子初夏冬オリンピック出場